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Für Elise ~薄れゆく思い出その2

悪かった思い出はいくらでもあります。私のX1/9は、米国向けの排ガス規制を受けた物をベース(1500cc版)にしてあったため、68hp(63hpだったかな)くらいしかなく、ターボ付き軽自動車にぶっちぎられる位遅く、町中でも常に3000RPM以上を保ち、2-3速を常にシフトしながら走る感じでした。それはそれで常に全開感いっぱいで楽しかったです。
でも、1年間だけ、三晴BICS(だったかな?)が輸入していた、ヨーロッパ仕様をベースにしてた、85hp版が羨ましかったです。デザインもツートンカラーで、リアウィングなしと申し分なかったけど、350万円くらいだったと思います。エンジンはフィアット・リトモと共通だったので、アバルト・リトモ130TC(名作ランプレディユニット)が出た時に、同じエンジン載せてくれないかなぁ、と夢想したものです。もっとも、よく考えれば、ランプレディユニットを載せたランチア・モンテカルロより速くなるわけにはいかないので、ありえない話ですね。
 モンテカルロも欲しかったなー。バブルのあおりを受けて、中古でも300万円くらいだった。イタリアのクアトロ・ルオーテっていう自動車雑誌(もちろんイタリア語)に中古車の相場表があったのだけど、当時のリラのレートだと7-80万円程度だったので、個人で2台輸入して、2個イチで直して、悪い方は250万円くらいで売り飛ばせば、タダで調子のいいのが一台手に入るんじゃね?とばかりに、イタリア語をちょっと勉強したりして(アホ丸出し)。

遅いのはともかく、嫌だったのは、こっちがカッコばかりで遅いのを知ってか知らずか、絡んでくる現役時代の「豆腐屋の車」が少なからずいて、今でも精神的トラウマレベルです。トレノより、レビンの方がちょっと安かったので、主にレビンですけどね。「弱い子」をイジメちゃダメでしょ?なお、しげの秀一はまだ「バリ伝」描いてた頃。
山道ではダウンヒル・キング(笑)でしたね。設計は70年台前半で、高張力鋼板とかが一般的になる前の設計だったせいでしょうか、シャシーはゆるかったです。その割に、足回りは結構正確で、下りのタイトコーナーでブレーキをギリギリまで残し、アンダーを消してコーナリングすると、自分を中心にクルッと車が廻る感じになり、メチャメチャ楽しかったです。
山道とかで豆腐屋に煽られた時は、減速して先に行かせてましたけど、後ろから見てて運転のうまい人って必ずしも多くはなかったな。なかには、カローラGTとかで、キレイにヒールアンドトーを決めていく人とかがいて、(お、おぅ)とか、思ったものです。ちなみに、私は決して旨い方じゃないと思ってるけどね。

あと、マイナートラブルだらけ。ありとあらゆるものが壊れました。ブレーキシューは1万Kmで交換。ディスクも一回交換した。アンダーステアを殺すため、フロントに荷重を掛けるべくギリギリまでブレーキを残す運転の仕方にも問題はあったでしょう。
ハブ・ベアリングは、1万Km毎くらいで音が大きくなってルーチンで交換。設計ミスっていうか、P6/7あたりを嚆矢としてハイグリップのロープロタイヤがちょうど流行りだした頃で、70年台前半の設計でネガティブキャンバー(好き者にはたまらん)が強めというのが問題だったかも。
タイヤといえば、標準で165/70R13だったと思いますが、私の車は前オーナーの好みで前175/60、後185/60のピレッリP6になってました。まだ、7分位山が残ってましたが、パニックブレーキでフロントにフラットスポットを作ってしまい(ABSなんてなかったもん)、泣く泣くPotenza RE86の175/65に前後とも変えました。P6よりグリップはありましたが、限界を超えるとポーンと放り出されてしまう感じで、コントロールの余地がP6より少なく感じたものです。

 ちなみに、本当に動けなくなったのは、1回だけ。女の子とデート中に、青山のホンダの本社近くで、エンジンが死んでしまった。路肩にほっぽりかして、何食わぬ顔でタクシーで女の子と食事に行きましたが、気もそぞろ。食事が終わって、タクシーで車に戻り、JAF呼んで、芝公園近くのディーラーに運んでもらい、車の中で夜明かし。ちなみに、原因は前ユーザーが少しでも出力を改善しようとしたのでしょう、後付のBosch製のトランジスタ・イグナイタの死亡でした(ドイツやろ~!)。

ワイパーはついてるだけ。ハイスピードにしても、当時の国産車のロースピードに劣る程度。ガラコ必須でしたが、フロントウィンドウに落ちた雨は、フロントフェンダーを通って落ちるようになっていて、雨のあとは必ずボディに白い線ができてましたorz。ただ、雨漏りは皆無でした。

あるとき、左右のカーブでなんとなく、挙動が異なる気がしてみてもらったら、左リアのショックのオイル漏れ。純正品とKoniと値段が変わらない(orz)ので、迷わずKoniにしましたが、リアだけ変えたので初期アンダーが余計強くなってしまいました。

あと、サビ。当時はインターネットとか無かったから、HaynesのOwner’s Manualを青山の嶋田洋書(いまでもあるのかな?)かどっかで買ってきて頑張ってましたが。ドア下の水抜き穴がすぐ詰まり錆びるのが弱点のひとつ、と書かれていたとおりになってしまいました。

良い所に書き忘れましたが、電装品はフェラーリと同じメーカーでしたね。タコメーターはVegria、クラクションはFiam、ショックもKoniって感じで、オイルは当然Agip。マフラーもAnsaの(嬉し恥ずかし)4本出しに交換して、気分は「フェラーリ154GTS」だったもんですよ(アホである)。
Ansaのマフラーは、低速トルクが明らかに減りました。今考えると上の方は音が勇ましくなって、良くなったと感じただけかどうか判りません。音は良くなりましたが、数年でスチールウールが錆びちゃったのか、ウルサイだけになってしまいました。そういえば、純正のマフラーと100Kmくらいしか走ってない触媒が(親に勝手に捨てられてなければ)実家にあるはずですが、だれか欲しい人いるかしら?

冬場の冷間始動もなれるまでは、大変でした。オートチョーク着いてましたけど、すぐ壊れてしまいました。弱いセルモーターでなかなかエンジンが始動しないので、諦めて止めたりを繰り返してると、プラグがかぶってしまい、プラグ外してカーボンをワイヤブラシで掃除してとか、冬場にやると泣きそうになりましたよ。だんだんなれて、セルモーターを数秒回し(とめちゃダメ)たところで、ガソリンがキャブまで来たのを見計らって、アクセルを3回煽って加速ポンプ(若い人はわからんな)でガソリンを注入、そのままお祈りをしながら30秒以上セルを回し続けると、火が入り始めるので、全気筒に火が入るまで最新の注意でアクセルを調整。そのごは、1500RPM位を保って、水温計が動き始めるまでしばしガマンってな感じ(キャブ時代の12気筒フェラーリかと)。

オルタネーターも弱く、一度リコイルしてもらいましたが大差なし。高速で前照灯をつけ、ラジオを聞いているとだんだんライトの光量が下がるレベル。最後の頃は、予備バッテリーとジャンプケーブルをトランクに入れてましたwww

どこに行くにも使っていたX1/9ですが、当時親との折り合いが悪くなり、都内に引っ越し、そのまま登録抹消にしてしまいました。その前から、大雨が降った後になぜか運転席側のフロアに水が貯まるようになり、雨漏りの後も無いのになぜかな?と思いながらもさほど気にしていなかったのですが、ある時、何の気無しにダッシュボードの裏側に手を入れたら、ザクザクとサビが出てきてしまいました。フロントのバルクヘッドにサビで穴が開いた様です。こうなると、ドア下のサビどころではなく、レストアレベルの修理が必要と考え、当時の財政事情から泣く泣く諦めた次第。

人生計画的には、X1/9(ガンディーニ) →ランチア・モンテカルロ/ラリー037(フィオラバンティ)→フェラーリ308/328GTS(フィオラバンティ)→マセラティ・メラックSS/ボーラ(これはジュウジアロかな?)とステップアップする予定で、途中でストラトス(ガンディーニ)と911を入れるのも悪くないなと勝手に妄想を膨らましてました(中学生かと)が、現実には25年経ってやっとエリーゼ。でも、途中で他の自動車買わなかったのは、我ながら変態です。

あのころ本当に好きで、よくドライブ・デートしてた「友達以上、恋人未満」の女の子との仲が決定的になったのもX1/9のことを考えるとちょっと感傷的になる理由の一つです。彼女も50を超えたはずですから、立派なBBAなはずですが、思い出の中では年取らないし…


Green_elise2

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